留学3か月目。今の心境。
お久しぶりです。
読者さんがいなくても、自分が見返したときに、どんなことを想ったのか鮮明に思い出したくて書き始めたブログです。
やっと初めてのタームが終わり、冬休みに入りました。
12月3日から一週間がファイナルウィークで、1月7日まで休みです。
私の場合は高校に行くために帰国しなければならなかったので、そのために今、日本に滞在中です。
街には慣れました。面白いし、美味しいものがあるし、(日本に比べたらやっぱり違うけど!)楽しいです。静かで人も少ない町だから、色々なところで冒険ができるし、お散歩も心地よいです。
アパートメントのルームメイトとはいざこざがあったままサヨウナラをし、これから戻って、春か夏まで過ごして、そこからの道はまた決めます。何も決まっていないので。
何が原因かは、もう「すべて」としか言いようがないのですが、パニック障害がまた再発したようで、教室に入った時や、家の中、寝る前でも、動機や息のしにくさ、呼吸が難しくなることが多々ありました。
帰国してすぐに精神科へ行き、今の私の状況を把握するためにも話を聞きました。
以前お世話になっていたところで、私が勝手に中断をしました。病院はもういらない!と。精神科に通うということがやっぱり恥ずかしかったし、友達との約束もそれに縛られて難しかった。病院にいかなきゃ、と言うと、「精神科でしょ、しってるよ」と、私からは何も言わなくてもわかってしまっているのが苦しかったからです。
でも今回は助けを求めないと、アメリカに戻ってからもっとひどくなっても困るので、行ってきました。
久しぶりに問診票に記入。
顔を見た先生が最初に放った言葉は、「だいぶやばそうだねえ。大丈夫かな。」と。
起立性調節障害から始まり、強迫性障害、抑うつ、不安障害、パニック併発で、散々ダメだった自分が、治ったと思ったのにまたこの場にいる。すべては中学から始まったけど、それがまだ続いていたんだと思うと、この言葉にすごく罪悪感を感じました。
なぜか、自分が悪いことをしているような気がして。
楽しい日もあるし、きっと楽しいと思えているし、ひとりでいるのが人より好きなだけだと思っていたのに。
私の場合は、両親との関係が問題だということで、今回先生はまた、母の話を出す。
うわあ、聞きたくないよう。みたいな。
今回先生が私をもう一度見た結果、「BPD」だということがわかりました。
自己同一性障害だと。この、「障害」ってつくものに、自分が当てはまると、生まれてきてから今まで一度も思ったことがなくて、それがすごい嫌で、不安のときも、強迫のときも、誰にも言わず、親にでさえ、「いや、これはただ少し気分が落ちているだけで」と言ってきたのに、今回もっと大きい診断を貰ってしまってもうどうしたらいいのかわからない。今はそんな気持ちです。処方箋も見せたくなくて、薬の説明の時も聞いてほしくなくて、なるべく言わないように…!と願っていたら、「これは不安のときの頓服です」しか言わなくて、本当に助かった!と思ってしまいました。笑
ああ~、昔から性格診断テストとか全然わからないの、何も選べないの、これだったんだあと思って、自己同一ができていないからかと、安心した面もあるんですけどね。
人格がいっぱいあるとか、多重人格系のサイコだとか、そういう風に見られるかもしれないけど、一応、私というものはあって、その中で、相手する人が変わると性格や思考が変わるんです。難しい!説明できないわ!
だから、性格を変えて接してた2人とか、4人とかが集まると、もう私はどうしていいのかわからなくなって、逃げる。逃げられないときは、とりあえず静かにして、黙って、ものすごく疲れて寝込んでしまう。
両親はそんなの信じていないし、両親と接する時は迷惑をかけたくないし、大事にする母だし、という感じで言えないからもっとしんどい。でも、いつか自分で解決できる日が来たら、言えるのかもしれないなあ。
一生付き合うんだろうけれど。
パニックのほうは、飛行機のための薬を貰いました。普段の頓服もたくさんもらえて、とりあえず安心。
ワイパックスなんて!自分が使うものではないと思ってました!笑
摂食障害も克服して、まだ心にいる拒食したい考えをどうにか排除しているけれど、確かにアメリカに行ってから、それが爆発して、めちゃくちゃ食べないとかやってたなあと。3か月で一体何をしたんだろう。
英語は伸びているんだけどね・・・笑
自分はまだまだだなと思った日でした。
心を書き出すって難しい。